2018年12月29日土曜日

うちのAI

AI(artificial intelligence)という言葉を初めて知ったのは、
2001年のスピルバーグ監督の映画「AI」でした。
つまりは、とてもよくできた人間同様のロボットのことだと思ってました。

それが昨年〜今年にかけて急速に身近なものとなった。
IoTというよくわからない言葉にはじまり、
直近では家の中で、「Alexa!」とか「OKグーグル!」とかいうと答えてくれるスピーカ、
これがAIであると、世の中では認識されているように思われます。

正確には、スピーカ付きの端末でAIとやりとりしているということなんですがね。
こういうのは、スピルバーグ以前にキューブリックの映画「2001年宇宙の旅」に出てくるハルというコンピュータを連想させますね。

ちなみにうちにあるのはAmazonEchoってやつで、
「Alexa!」と呼びかけてから話しかけます。
←(うちのは一つ古い第2世代)

いろいろ端末を追加すれば、照明やテレビやその他の電化製品を声がけでオンオフできるらしいですが、うちには電源タップが一つあるだけで、そのタップにつないだ家電はON/OFFできるはずなのですが、実際には、うちの中でつなげる家電は扇風機くらいで、しかもその扇風機は電源が入ってもタッチボタンを押さないと動かないので、電源OFFでしか稼働しません(なんのこっちゃ!)。
なので、結局、「Alexa!音楽かけて!」くらいしか使えません。
その上、頻繁に「よくわかりませんでした」と応答されます。

一方で、テレビでこのEchoのCMが流れてテレビから「Alexa!」という声が聞こえると、
「ぴろろん!」と反応します。
また、深夜に突然何も呼びかけていないのにしゃべりだして驚かせてくれます。

こんな風に生活を楽しませてくれるのが、現状のAIのようなんですが、
NHKでも「AI」テーマの番組が構成されていたり、
スピーカのみならず、車にもAIが搭載されていたり、にわかに世間はAI化しつつあるようです。

ところで2045年には、シンギュラリティ(技術的特異点)というのがやってくるそうで、
これは、AIというものは、今後飛躍的に進化を遂げて、2045年には人間を追い抜いてしまうという考え方なのだそう。

私がはじめてAIという言葉を知ってから17年でAIが家にやってきて、
今から約25年で人間以上のAIが現れる。
それはフィクションではないような気がします。
                   ふみみ   

2018年12月17日月曜日

マザーテレサの言葉。

マザーテレサの名言をググると、
実にたくさんの名言が現れる。
それもこれも考えさせられる言葉ばかりで、
この人がどんなに素晴らしい人だったのかと思わされる。

その中でも私が今、肝に命じている言葉がある。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

これを知るまで、こんな風に考えたことはなかった。
だけど、確かに、
考えていることが言葉としてアウトプットされ、
言葉に出すことによって行動に変わり、
そういう振る舞いは日常になり、
その日常は本来の性格とは別に、他者から見ればその人そのものに見え、
そういう生活の連続が人生を形作っていく。

でも、引いて考えてみると、マザーテレサのように五段思考しなくても、
自分が日夜考えていること、ひいてはモノの考え方は、
自分の運命、人生をカタチづくっていきますわね。
思考→運命
と直結しているとも言えますね。

この結論、ちょっとスピリチュアル的に聞こえるけど、
「引き寄せの法則」
とか、世界は意識有りき、と言っている量子物理学なんかとも
相入れるものだと、いま気づきました。
引き寄せの法則、量子物理学については、また別のエントリで。
                 ふみみ

2018年12月14日金曜日

文章とカラオケ。


ポッドキャストで人の話を聞いたりするんだけど、
誰だか忘れたけど、文章の上手さについての持論に、なるほどと納得してしまった。

上手な人の歌は、もう、歌い出してその上手さがわかる。
確かに、そう思う。
文章も同じで、書き出しの一文を読めば、もう上手いか下手かがわかるって。

うーん。なるほど。
読み手の読解力や感受性にも左右されるとは思うけれども、
歌の場合もそうだよね。

構成力や、アイデア、ストーリー運び、論理性・・・
こうした要素が絡んで、文章は上手いとかよろしくないとかになる・・・場合もあるでしょうが、そんなことより以前に、まず、声出しをした時点で、上手いか下手かが見えてしまう。

これはもはや持って生まれた何か。

私だって、長年文章にふれて来たんだから、決して下手くそじゃないと信じて来たんだけれども、でも、素人の文章を読まされてすら、これは決してマネのできない何かを感じることはあった。

ズブの素人から見れば、私は早く、的確に、アイデアも豊富に、短くも長くも書ける。

でもね、文才というものは、どうやらそんなレベルでは語れないらしい。

フェーン。
私も、文才豊かに生まれてきたかったよう。
                    ふみみ

2018年12月13日木曜日

SEO対策ということ。

「webライターというお仕事」という直前のエントリでも、SEOにふれました。
正直、専門的なことは・・・いや、初心者的なことも、SEOに関してはあまりよく理解できていません。

SEOとは、主にGoogle検索において、上位にランクされ、ひいてはコンバージョンを高めるための技術、というくらいしかわからない。

詳しく知りたいなら、SEOとは?でググればいろんなサイトが教えてくれるし、
ここでSEO対策についての技術を話すつもりもありません。

ただ、素人的に感じていることは、GoogleというAIに”気に入ってもらう”ために、
webコンテンツの書き手がこんなことをしなくちゃいけないのか、ということ。

でも、思い起こせば、web以前にも、広告は同じようなことを読者や視聴者に対してやってきた。
それが、マーケティングですよね。
もちろん、googleの先にも人間がいるので、SEO対策も広い意味でマーケティング手法なのかな。

SEO対策としての”上位キーワード”探しと同様に、
マーケティングでも人間に”刺さる”キーワードを探してきました。
ここには、心理学という科学が導入されもしました。
結局、人間もGoogleも、同じように魅力的な”言葉”に反応するわけですね。

うーむ。
またしても頭の中が混沌としてきました。
要は、やっぱり私たちは「言葉」探しをしていくことが大事なんだなという、
よくわからん、当たり前の結論ということで。
                     ふみみ

2018年12月11日火曜日

Webライターというお仕事。


フリーになって1年半。
仕事少ない、こりゃあかんがなと、
ネットでライター仕事をググってみると、
ああ、多いな、web系のライティング募集。
いまやプリント物よりもwebの方が主流らしくって、
どこの制作会社も、webライターを探している。
求人斡旋会社の人に聞いていたら、やっぱり、そういう傾向だそうな。

ところが問題は、「webコピーライター」という表記。

そもそもコピーライターとはなんぞや?ということになるのだけど、
コピーライターを「広告に使用する文言を書く職業」と定義したとすると、
webのお仕事が果たして広告なのかどうか?ということ。

もちろん、web上での広告てかいもある。
けれども、求められているwebライターのほとんどは、いわゆるまとめサイト的な、
あるいはweb上の情報誌的なライティングを求められている。

実は、私もまとめサイト的なwebライティングをいくつかやってみた。
広告主からの商品情報などはまったくなく、自力でweb検索して商品周りの情報を収集して記事化するというものだった。

ふーむ。書くという行為には違いなのだけれど、なんか違う。
web記事の場合、大事なのはseo対策。
seoとは、サーチエンジン最適化(Search Engine Optimisation)の頭文字。
もうみんな知ってると思うけれども、念のため。
googleやyahoo検索で、上位に表示されるための技術。

このseoを上げるための方法はいくつもあるようだけど、私は詳しくない。
だけど基本は、ヒット率の高い検索キーワードを何回も文中に取り入れ、
共起語という、関連ワードも必要回数文中に入れ込むなどの手法だ。
もちろん、読みやすさとか、正確さみたいな文章の基本も必要だけど、
すべて、検索エンジンのお気に入りになるように考えていかなければならない。

そうです。ターゲットは、人言ではなくて、検索エンジンなんです。
文章の上手い下手よりも、検索エンジンにとって美味しい言葉の提示が必要なんですね。

こう考えると、なんだかこれまで私が携わってきたコピーライティングとはかなり違うとわかる。
いやいや、時代の変化に伴って、コピーライターの守備範囲が膨らみ、求められるスキルにseo対策が付け加わったんだ、こう考えることもできます。

だとすると、コピーライターはwebライターを兼ねることはできる。
だけど、webライターにもコピーライティングができるんだろうか?
このあたりを、私のような古くからのコピーライターは疑問に思ったりするわけです。

なんだかちょっと、時代についていけない老人の遠吠えのようではありますが・・・。

ともあれ、世間の評価では、一般的にwebライティングの文章クオリティはさほど高くないという声は聞いたことがありますが・・・
とはいえ、私がwebライティングを行った時に、果たしてseo対策ができているのか、
webライティングとしてのクオリティはどうなのか、甚だ自信がなくなるのでございます。
               ふみみ

2018年12月10日月曜日

アスペルガーと言葉。

アスペルガー症候群という言葉は、少し前から聞いたことがあった。
最近よく耳にする「大人の発達障害」というものに含まれる、
自閉症スペクトラムの中に分類される、病気?とまではいかないまでも、
ある種の障害であり、個性なのだそうだ。

知的障害はない場合がほとんどで、一説によれば、
アインシュタインやエジソン、マイクロソフト社のビル・ゲイツもそうだという。
このような天才と言われる人たちの多くもアスペルガー症候群だというのなら、
もしかしたら・・・私自身もそうなのかもしれない・・・(^.^)。

冗談はさておいて・・・
アスペルガーな人は、他人の気持ちがわからないということなのだが、
ここではことばに関する部分を考えてみたい。

他人の気持ちがわからないというのは、ことばを文字通りにしか受け取れないことが一因としてある。
世に「いやよいやよも好きのうち」なんてことをいうけれども、
アスペルガー症候群の人間は、「いや」と言われたら、文字どおりに受け止める。
これは、奥ゆかしさ抜群の日本人にとっては大きなことだ。
ストレートに「好き」と言えない傾向にある日本人は、
「嫌いじゃないけど・・・」などと遠回しに言ってしまうので、
アスペルガーは、なんだ、嫌いじゃない程度なのか、とがっかりしてしまうだろう。

「うーむ、その件に関しては、持ち帰らせていただきます」
会議の席で、やんわりと断りを入れられると、
アスペルガーは、持ち帰った後の結果をいつまでも待つことになる。
こういうわけで、アスペルガーな人は、話し合いが苦手だといわれているのだろう。

さて、かく言う私も、たとえばこのブログについて
「なんだしょもない。こんなつまらんブログはやめてしまえ!」
などと言われてしまうと、本当に文字通り受け止めて、もうやめてしまおうかなと悩んでしまう。
と言うことは、やっぱり私もアスペルガーな人なのかもしれないね、冗談じゃなく。
                 ふみみ


2018年11月9日金曜日

流行語大賞

今年もまた、流行語大賞ノミネートが発表されましたね。
来月3日に大賞が決定するそうです。


※リストはコピペです。
ことしの「新語・流行語大賞」にノミネートされたのは、次の30の言葉。
(50音順)
あおり運転
悪質タックル
eスポーツ
(大迫)半端ないって
おっさんずラブ
GAFA(ガーファ)
仮想通貨/ダークウェブ
金足農旋風
カメ止め
君たちはどう生きるか
筋肉は裏切らない
グレイヘア
計画運休
高プロ(高度プロフェッショナル制度)
ご飯論法
災害級の暑さ
時短ハラスメント(ジタハラ)
首相案件
翔タイム
スーパーボランティア
そだねー
ダサかっこいい/U.S.A.
TikTok
なおみ節
奈良判定
ひょっこりはん
ブラックアウト
ボーっと生きてんじゃねえよ!
#MeToo
もぐもぐタイム

私が知っている言葉は23/30。
おっと、7つも知らない言葉があった!
GAFA 中身は知ってるのに、この言葉は・・・なんでTwitterが入ってないの?

それはともかく、もっと絞っていいんじゃないの?
私の見立てでは実質、記憶に残っていたり、社会的影響が大きかったのは・・・この7つくらい?

悪質タックル
(大迫)半端ないって
カメ止め
災害級の暑さ
首相案件
そだねー
#MeToo

忘れてはいけない、または社会的に覚えていたいとフレーミングすれば、
首相案件と悪質タックルの二つかな。

ところで、毎年恒例っぽくなったこの流行語大賞だけど、
お祭りとしては誰が何のためにどうしようが勝手だけど、
大賞は、みんなの記憶に残るくらい強い言葉であってほしいし、
そうなれば、こんなお祭り騒ぎで奉らなくても、
自ずとみんなの記憶に止まって歴史に残る、
それが真の流行語大賞だと思うんだけど。

例えば ガチョーン!みたいに。
          ふみみ